ほんとのこと

正解はありません、不正解はあります。

愛と恋と性

 愛とは何でしょうか。恋とは何でしょうか。私にはあまりにも大きすぎる問いで、きっと死ぬその時まで答えがわからないような気さえします。何せこれは私一人で完結する問題ではないからです。幾人もの恋と愛が重なり合ってその一欠けらがやっと見えてくるのでしょう。多種多様の恋と愛を見て、知って、感じて、それぞれ共通する核となる部分を恋や愛と呼べるんでしょうか。私にはわかりません。

 一つ私の中にはある種辞書的な定義があります。それは、恋は性的な欲求、愛は精神的な繋がり、というものです。性的な欲求といっても下品な性欲といった、ただ漫然とした自己の欲求のことを言っているのではありません。性とは単純なオスとメスといった性的記号のことで、それに伴う欲求です。生物としての遺伝子に組み込まれた本能として性に吸い込まれるそういった広い意味での性欲です。ただただいたずらにセックスがしたいと思う性欲ではありません。もちろん本能的な吸引にも最後の最後の最後にはセックスが見えているかもしれませんが。

 愛は精神的な繋がり、と言いましたがあまりにも漠然としすぎているような気がします。しかしこの繋がりという言葉が愛と恋を大きく分かつキーワードになると思うのです。私は愛というものは互いに互いを愛して初めて生まれるものだ思っています。つまり一方的に愛することは愛ではないということです。愛の向きが一方向になったその瞬間にそれは愛ではない何かになってしまうということです。互いに愛を持ち寄って初めて愛になる。どちらも揃っていなければ同じ感情でもそれは愛とは呼べない成り損ないの感情ということです。少しややこしいかもしれません。愛という状態に愛という感情を用いて定義しているのでそうなってしまっていますが、私には愛という感情を愛という状態をほかの言葉で置き換えることが出来ません。それと同じように愛にではない同じ感情にも名前を付けることはできません。私は互いに愛している状態が愛だと考えているので、繋がりという言葉を大事にしていたいと思っています。